メモリアルルーム

オーナーの夫である篠塚建次郎は、世界一過酷なオフロードラリー・パリダカールラリーと、世界で最もドライビングテクニックが必要だと言われているスピードラリーWRC(ワールド・ラリー・チャンピオンシップ)の二つの国際ラリーで、日本人初の総合優勝を果たした唯一のラリードライバーです。

大学生でプロドライバーとなり、56年間「生涯現役」を貫きました。モータ―スポーツの世界で活躍し続けてきた篠塚建次郎が獲得したトロフィーや実際の競技写真が展示してあります。思い出と歴史を詰め込んだこの部屋にご興味のある方はオーナーまでお声を掛けてください。

篠塚 建次郎(しのづか けんじろう)1948年11月20日-2024年3月18日


学生時代からラリーを始め、東海大学工学部工業化学科を卒業後、三菱自動車に入社。三菱自動車の社員ドライバーとして国内ラリーを総なめにした後、1974年より海外ラリーに進出。国際舞台での活躍が期待されていたが、1977年の排ガス規制により以後8年間ドライバー稼業はブランクとなりサラリーマンに徹する。1986年パリ~ダカールラリー出場、38歳で復活。

1987年総合3位、1988年総合2位、1997年総合優勝。同時に1991年、1992年にWRCアイボリーコーストラリーで2年連続優勝。人気実力ともに日本ラリー界の代名詞となる。

その経験を生かし、安全運転・省エネ運転・高齢者の安全運転等の講習会や講演を交通安全協会やネクスコ東日本等で勢力的に展開。在住している北杜市清里を拠点に、雪道を安全に走るための初心者向けおよびスポーツドラインビングのためのスクールを開催。また北杜警察署・野辺山警察署署員への雪道走行の指導も行なった。

2002年にセネガルはダカールの隣のヨッフ市にマム アラッサン ライ ド ヨッフ小学校(現・篠塚建次郎小学校)を設立。